関係ない話

スポーツ専門の雑誌で

かつて怪物と言われたベテラン投手にまつわる人間模様を特集していた。

かつて怪物と言われた投手は今再起を賭けた挑戦をしている。

その記事を読んでいて、ふつふつと疑問が湧き起こってきた。

ここ30年で怪物と言われた投手は彼のほかにもう一人いた。

二人とも怪物なのに通算200勝にはるか及ばない勝数で引退、

もしくは今マウンドに立てない危機に見舞われている。

二人とも高校時代の活躍が伝説中の伝説になっている。

高校時代から既に怪物なのに、プロになってから耐用年数が短い。

これはアマチュア時代の酷使が原因ではないか?

こんな疑問は素人でも呈することができる。

と言うか、ほかの原因があったら教えてくれ!

とすら感じる。

なのに、この特集はそんなことは全くのスルーである。

準々決勝 250球完投!

決勝 ノーヒットノーラン達成!

称賛の嵐である。

非難の嵐の間違いでは?

怪物の耐用年数を削った起用法への反省は?

それが特集のテーマになるべきでは?

今日も新聞の見出しにこんな文字が

○○投手 7試合連続二桁奪三振の日本新達成!

アメリカでは先発投手の投球回数の上限が設定され

上限に達すれば何回であろうと交代になるのが普通と聞く。

これは選手(商品)の寿命(耐用年数)を維持する

ために科学的データに基づいて設定されているはず。

日本の情緒的なところが悪い面として出るところだ。

高校生が一人で投げ抜いた250球にファンが感動し

完投が投手の理想と選手と指導者ともに思う。

情緒的なところが残酷さを生むケースだ。


かつて零戦は信じられない航続距離と空戦性能を引っ提げて登場した。

米軍は零戦を見れば逃げても可とし、英軍もまったく歯がたたなかった。

が戦争末期には零戦はライターと米軍に嘲笑されていた。

よく火がつく意味である。

つまり防御性能を犠牲にした航続距離と空戦性能だったのだ。

そして速度は不足気味であった。

しかもそれらの欠点を補う改修は最後までなされず

生き残った零戦パイロットは誰もそのことを非難しない。

零戦の空戦センスは本当に抜群だったらしい。

ここでも情緒的とところが残酷な結果を生んでいる。







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1679ヨハン・シーファーデッカー氏

1679ヨハン・シーファーデッカー氏の曲を聞いた。

ヨハン・シーファーデッカー氏は

リューベックの聖マリア教会のオルガニストである

1637ディートリヒ・ブクステフーデ氏の助手を務めた弟子である。

ブクステフーデ氏の逝去に伴い、師匠の娘アンナ・マルガレータ嬢と結婚し、

聖マリア教会のオルガニストに就任した。

シーファーデッカー氏は実力充分の一流職業作曲家だった。

曲を聴いてわかった。

どういう経緯かはわからないが、シーファーデッカー氏の音楽的業績に

敬意を払うために小惑星に彼の名前が冠されているという。

彼の作品がほとんど散逸しているのは

彼を取り巻く人間模様に超弩級が勢揃いしていたせいかも。

いや、シーファーデッカー夫人を取り巻く人間模様というべきか?

シーファーデッカー夫人は独身時代にJSバッハ氏とヘンデル両氏に

ふられている。

マッテゾン氏にもふられたとする説もある。

彼女が二人(三人)に思いを寄せていたわけではない。

彼女は二人(三人)のことはほとんど知らなかっただろう。

二人(三人)に思いを寄せたのは彼女の父親であった。

聖マリア教会のオルガニストの後継者として才能ある若者

を嘱望したのだ。

高名な彼女の父親の後継者として嘱望されるという

若者にとって光栄の至りとしか言えない申し出が断られたのは

若干ではあるが10才ほど年上のアンナ・マルガレータ嬢との結婚が

条件だったからだと、のちにマッテゾン氏が暴露しているらしい。

JSバッハ氏とヘンデル氏より6才年上のシーファーデッカー氏

は年の差婚に何の不具合も感じなかった。

いや、ほんとうにシーファーデッカー氏は凡庸なんかではないよ。



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ア カペラ

1440?ジョスカン・デ・プレのa cappellaを日本人のアンサンブル

で聴いた。

相当歌いこんでいるプロ達である。

600年前の遠い異郷の地の音楽をマジで演じるなんて

アンビリーバボーである。

聴く立場としても

「ジョスカン・デ・プレ」の名前を出す時点で

「オタク確定」の烙印を覚悟の上での確信犯的行為なのに。

しかも彼らはあろうことに

600年前の楽譜を見ながら歌っているという体の映像を

平然と流しているではないか。

600年前の楽譜なんておたまじゃくし以前、

未解読象形文字にしか見えない代物なのだ。

日本の外来文化への寛容ぶり 実に畏るべしである。

日本人のジョスカン・デ・プレは白人のジョスカン・デ・プレとは

似てもなく非なるものだ。

笑っちゃうくらいに。

まさに万華鏡と宝石くらいに違う。

(値段的な違いの話ではない)


さて、今日の本題…

ずーっとずーっと以前から密かに思っていた疑問を

はじめて言うことにしよう。

日本語は(西洋風)合唱曲にはあまり向かない言語ではないか???

日本の歴代の作曲家たちや合唱団の皆様には

大変申し訳ないのだけども…

日本語による合唱曲はあらかじめ歌詞が手元になければ

何を言っているのかほぼわからない。(わたくしには)

わからないのであれば、それはヒアリングのできない外国語と同じ。

もしくは楽器と同じ。

聞き慣れたせいか西洋の言語は二声三声の(それ以上も)

ハーモニーの妙がある。

もっとも四十声六十声なんかは悪趣味にすぎないが…

日本語の重唱や輪唱にはどことなくとってつけた風がある。

とってつけた風というかよそ行きの風が。

どうしてもそう感じてしまう。

ところで冒頭のジョスカン・デ・プレだが
日本人の歌いこんだプロの詠唱は

どことなく浪花節的であった。

浪花節的とは「よそ行き」ではなかったという意味に過ぎない。

(実際、浪花節じたいをわたくしはあまり知らないので)

日本人が600年前のa cappellaを外国語で普段着で歌い、

現代の a cappella  がよそ行き風に日本語で歌われる。

なんとも おもしろい。


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光と影

前回 ちょっとばかしWFバッハ氏の音楽に

肩入れしすぎたかもしれない。

若干の判官贔屓が混入していたかも。

彼の音楽から放たれる光は強いのだけれど微妙に濁りがある。

それは否めない。

それは何を意味するのか言えば

出来栄えはかなりいいのだが、人気はそんなにでない。



ふとヴィヴァルディ氏とアルビノーニ氏を思う。

ほぼ同時代の二人。

素人のわたくしには技法的なことはわからない。

少なくともこれだけ圧倒的な人気の差ほど

技法的な差があるとは到底思えない。

では何が違うのか。

ヴィヴァルディ氏の光はあくまでも強くクリアーである。

アルビノーニ氏の光は優しく微妙にくすんでいる。

そこが違う。


微妙に濁っている とか 微妙にくすんでいる とか

無礼千万な言い方で許せないが

比較したときのものの例えに過ぎない。

そういうイメージは彼ら偉大な作曲家の人生とは何の関係もない。

そこははっきりさせておこう。




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WFバッハ

ふとWFバッハ氏のコンチェルトを耳にして改めて驚いた。

CPEバッハ氏を聴いてまたWFバッハ氏を聴き、青ざめた。

かつてWFバッハ氏をJSバッハ氏の息子と弟子のなかで

最も霊感に満ちている作曲家だと言ったが、

大胆な訂正が必要な気がする。

この人ほど悪しき情報にサンドウィッチされている作曲家はいない。

誰もがおそらく悪しき予備知識からこの人の曲を知ることになる。

仕方ないと言えば仕方ないのだろう。

何せJSバッハ氏が溺愛した長男坊である。

親の期待に泥を塗って落伍した人生を歩んだ男である。

何と不幸なことよ!

不幸なのは彼の人生ではなく、

不要な事前情報に雁字搦めにされている状態がだ。

今彼のオルガン曲を聴いているが

彼のオルガン曲がほとんど出版されなかったのは

彼の失敗人生の余韻、賜物であろう。

彼のオルガン曲はJバッハのあとの歴代トップクラスの

レヴェルである。

なのに流布しなかった。

このことがドイツ・オルガン音楽の衰退を招いた。

そう言ってやりたいくらいだ。

彼の人生破綻と性格破綻と作品の瑕疵を繋げるのが愛好家の趣味

みたいだが…

それは全く新しい心理学と全くの新説の評論の類である。

何の根拠もない新説に過ぎない。

もしこの新説に何かしらの意味があるのなら

モーツアルト氏はもっともっと低い評価を受けねばならい。

そうでないと辻褄が合わない。

偉大な作曲家の評論が悪口で満ちているのは有り得ないこと。

有り得ないことがWFバッハ氏に関してのみ許されている。

これを不幸と呼ばずに何と呼ぼうか。


WFバッハ氏の音楽は父親とは別系統で誰にも似ていない。

形式に則っていながら自由な飛翔に満ちている。

形式と自由な飛翔に調和を醸し出す表情が何とも独特である。

古今独歩の天才作曲家の一人といって差し支えないだろう。

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アレクサンドル・ボロディン

いつものようにとりとめもない漫談。

(そうでないと続かない)

久しぶりに19世紀から20世紀のピアノ独奏曲を

適当に選んでスコアを眺めつつ聴いてみた。

(いつものようにそれぞれ冒頭の一分間だけだけど)

当然スコアを見ても幾何学的文様にしか見えない。

(スコアを見て楽想が頭に浮かぶのならかっこいいけどね)

がその幾何学的文様にも何となく個性がほのかに

感じられてすこぶる面白い。

とは言っても何だろう、

音源を聴きながらスコアの画面を見ていると

画面から光が照射されてくるような錯覚がある。

音源だけより少し具体的な感じで。

(説明難しいけど)

やっぱり19世紀以後だと

ショパン氏の光が最も強い。

これはもう争う余地がない。

いっぽう

ショパン氏は幾何学的文様の外観には興味なさそうだ。

ひるがえってリスト氏の幾何学的文様の外観はド派手だ。

自己主張が半端ない。

ラヴェル氏の幾何学的文様は20世紀に蘇ったバロックの如く。

ドビュッシー氏の幾何学的文様は粘着気質の職人の如く。

あと、これは以前からうすうす感じていたのだが

ラフマニノフ氏は総じて光の束が粗い。

決めるときは決めるのだが、そうでないときは…

(やはり氏は歴史的な「晩禱作品37」に尽きる)

今回、剛い光で目を引いたのが ボロディン氏だった。

ボロディン氏はかなり昔から興味があったが

歌劇イーゴリ公の全曲は入手不可能だった。

韃靼人の踊り だけ聴かすんじゃねえよ! と思っていた。

それが数年前には 結構全曲盤が流通していることを知った。

が手を出さずにいたのだ。

今回ボロディン氏にちょっとだけ手を出してみた。

歌劇にしてもピアノ独奏曲にしても

ムソルグスキー氏と似た響きの存在を感知したので

急遽、禁を破ってムソルグスキー氏関連も

ウィキペディアで斜め読みした。

この響きはほぼ同年代のチャイコフスキー氏には無い。

ラフマニノフ氏には受け継がれている。

ボロディン氏はグルジアの大貴族の私生児とある。

認知されなかったが充分な教育をロシアで受けている。

例えばスターリンもグルジア人だが…

ボロディン氏が受け継いだ資質はルーシではなく

グルジアのそれであろう。

がもちろんロシア人として生きた筈である。

化学者として成功し、彼こそまさに日曜作曲家だった。

ムソルグスキー氏はルーシ勃興の始祖に繋がる名家の出である。

が彼の代で没落し貧困に落ちている。

一見両者の出自に共通項はないのだが…


ボロディン氏 といえば 有名な「韃靼人の踊り」

ムソルグスキー氏 といえば  有名な「ボリスの独白と死」

イーゴリ公での「韃靼人」は史実的にはチュルク系だ。

ところでボリス・ゴドノフの出自も韃靼人らしい。

チュルク系かモンゴル系か判然としないが。

リューリク朝の開祖につながるムソルグスキー氏の家柄

だからこそリューリク朝を終了させた当事者(下手人との噂も)

であるボリス氏の題材を選んだのだろうけど。

ルーシの歴史は遊牧民族とくにチュルク系との関係

そしてモンゴルによる長年の支配 を抜きには語れない。

その点では西洋とはまるで異質なのだ。

チャイコフスキー氏は西欧音楽の輸入業者の役割も担っていたが、

(彼には貴族のパトロンがちゃんといた)

ボロディン氏やムソルグスキー氏にはそんな役割は無かった。

(彼らにパトロンがいたとは思えない)

彼らの音楽にはルーシの非西洋的要素が横溢している。

それらはルーシの日常に普通に存在しているのだろう。

もしムソルグスキー氏の家が落魄しなかったら

氏の音楽はまた違ったものになっていたかもしれないが。

ルーシは10世紀ころキリスト教(東方正教会)に改宗

するまでは太陽神を信仰する民族だったようだ。

改宗後、キエフ大公国(リューリク朝)は東ローマ帝国と

良好な関係を維持して発展する。

ヨーロッパで一二を争う大国になる。

首都キエフは正教会の聖都として繁栄する。

1240年モンゴル軍の降伏勧告を拒否してキエフは殲滅。

キエフ大公国は事実上崩壊する。

その後長期にわたるモンゴル支配を経て

ルーシの中心は北方に移っていくのだが…


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クープランの墓  

楽曲を情報なしに聴くのと関連情報を知って聴くのは

何が違うのだろうか?

楽曲と初対面の場合

全くの無情報より情報があった方が何かしらの

とっかかりにはなる。

録音音楽を密室で聴く場合よくあることだ。

それもCDやLPではなく番組放送から録音した場合に。

CDやLPの場合だと何気に解説文に目が行ってしまう。

わたくしは30年間 無情報で聴くことが多かった。

例えば(前掲)

ムソルグスキー歌劇ボリス。

愛聴していた音源が巷間ほとんど流布していない初稿版

であることをずっと知らずにいた。

主人公が亡くなるハイライト場面のド迫力に

畏敬をこめた感動をいつも覚えていたにも関わらず

なぜボリスがここで死ぬのかわかっていない。

あまつさえ未だこの歌劇の概略ストーリーさえ知らない

わたくしがいる。

今さら知ってもなあ という思いはある。

知ることで、培ってきた?曲のイメージが変わるのが

ちょっと口惜しい。

なぜってそのイメージが育成されるのまでどんだけ大変だったか!

日曜作曲家?の未熟な?曲を長時間に渡って理解不能言語とともに

つきあう忍耐は相当なもの。

その忍耐と引き換えに得られたイメージである。

愛着がないといえば嘘になる。

考えてみればこのブログは30年間最少情報で聴いてきた楽曲と

ウィキペディアの真偽不明の記述を照らし合わせて

二回目の対面をしているのかもしれない。

ボリス君の場合二回目の対面は拒否したいけど…



さて今日の本題だけど

ある曲との二回目の対面の話である。

曲名は「クープランの墓」。

この曲は 20代前半までに聴いたピアノ曲のなかで

(ベートーヴェン氏を除けば)

ダントツに心に響く曲だった。

にも関わらず理由が全くわからなかった。

どちらかと言えば瀟洒で軽妙な曲のどこに惹かれるのか謎だった。

当時は(若気の至りで?)

ベートーヴェン氏の重い深刻な?ピアノ曲を愛聴していたくせに。

ドビュッシー氏とラヴェル氏のピアノ曲もかなり聴いていて

みないい曲であったが、なぜ「クープランの墓」?

という思いがあった。

ピアニスティックな表現なら「夜のガスパール」であろうし

前奏曲第一巻と第二巻を聴いたわたくしは

勝手にラヴェル氏よりドビュッシー氏の方が格上だと。

でもなぜダントツに「クープランの墓」が好きなのか?

わたしって古典愛着派? 形式主義者?

??????

その理由は今もわからないし、別に知りたくもないが

ついさっき、たまたまウィキペディアで、唸る記述があった。

ホントに今までこの曲の由来を全く知らなかったのである。

1914年フランス音楽への追憶として構想される。

第一次世界大戦勃発前夜である。

直後に大戦が勃発する。

ラヴェル氏は志願してフランス軍に従軍する。

砲弾飛び交う中、

輸送トラックの運転手(一説では野戦病院の病院車の運転手)

として戦争に参加する。

1917年除隊。

相前後してバスク人の実母が亡くなる。(彼は生涯独身)

彼は自分がバスク人であることを強烈に意識しはじめる。

同時に心身ともに疲弊しきっていた。

気力を振り絞って書きかけの曲を完成させる。

「クープランの墓」はフランス音楽への哀惜という意味。

彼が愛するFクープラン氏の名前を借りた。

六曲からなる組曲。

六曲は第一次世界大戦で戦死した六人の友人に捧げられた。

「クープランの墓」はラヴェル氏最後のピアノ独奏曲になった。

1937年に逝去するまで病気に苦しみ

演奏活動はできたが

作曲活動がままならず

「クープランの墓」以降はわずかな曲しか残していない。

その中には「ピアノ協奏曲」がある。

「ピアノ協奏曲」はピアニストのマルグリット・ロン氏に献呈され

ロン氏が初演した。

ラヴェル氏とロン氏はピアノ協奏曲を携えて

ヨーロッパ中を演奏旅行した。

ロン氏の夫君は第一次世界大戦で戦死している。

クープランの墓の最終曲トッカータは

ロン氏の夫マルリアーヴ大尉に捧げられているのだ。



何と!

「クープランの墓」はその瀟洒で軽妙な表情の裏に

レクイエムが隠されていたのだった。

このエピソードで嫌が応でも曲のわたくしの

イメージは変わらざるを得ない。

この情報を知ってしまったのがいい事なのかどうかは

分からない。


いや 実際ラヴェル氏自身に対するイメージも変わらざる

を得ない。

二つの大戦で活動拠点を求めて亡命した音楽家はいる。

たくさんいる。

収容所で獄死した音楽家もいる。

慰問演奏した音楽家もたくさんいる。

著名な音楽家で一兵卒として自ら死地に赴いた

者がほかにいただろうか?

「クープランの墓」のエピソードは示唆に富み、強烈だ。






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万華鏡

さっきふと目にしたライヴ動画から連想された漫談。


動画はブルッフのヴァイオリン協奏曲ト短調。

ソリストはパールマン氏。

秋山和慶氏と東京交響楽団。

1991年の映像。



思い起こせば40年以上前  中学一年だったか

はじめて正式にちゃんと聞いた西洋音楽すなわち

はじめてラジオ番組からカセットテープに録音したのが

たまたま

ベートーヴェン氏のヴァイオリンソナタ第7番。

メニューヒン氏とケンプ氏。

ベートーヴェン?  知ってる。  

「エリーゼのために」書いた人だよね。

なんかとても聴き易い音楽だった。

なんだ 意外とクラシック音楽ってちょろいのかもと。

よし、次は何の曲を制覇してやろうかなと。

たまたま番組表に載っていた

ベルリオーズ氏の幻想交響曲。

秋山和慶氏とバンクーバー響。
 
ベルリオーズ? 知らないなあ。 誰?

ま、いいか。

なんかおどろおどろしい呪文にしか聞こえない。

なんだこれ? 難解な現代の前衛音楽ってやつなのか?

選曲ミスか?

なにくそ 負けてたまるか。

テープがすり切れるほどまわして流した。

これが初挑戦。

私にとって西洋音楽はいつも挑戦の対象であった。

ボロボロになったカセットテープのケースには

ベルリオーズ 幻想交響曲 秋山和慶/バンクーバー響 

録音のさいに書きとめた

消えかかったミミズのような文字がいつも目に入っていた。

ベルリオーズすら調べようとしない私が秋山和慶って誰?

と思うわけもなかった。

そして中学一年から空白の時間を超えて

40年振りの一方的な秋山氏との「再会」。

それがついさっきのこと。

あら、ご健在でいらしたのね。素晴らしい。

バンクーバーに自宅ありと真偽不明のウィキペデイアにはある。

まさか秋山氏の指揮風景を映像で見ることができるとは。



ちなみにベートーヴェン氏とベルリオーズ氏の年代が

そう違わないのを知って腰を抜かしたのは数年後である。


ちなみに数年後わたくしはケンプ氏を生で見ることになる。

わたくしの最初で最後のピアノリサイタル見学体験であった。

超高齢のケンプ氏は指が気の毒なくらい動かなかった。

弾き終わったあと立ち上がったケンプ氏は

誰も理解できないドイツ語で聴衆に滔々と語りかけ、

会場の静寂と万来の拍手を呼び起こした。


ちなみにブルッフのト短調は個人的に

ロマン派でもっとも好きなヴァイオリンコンチェルトだ。




パールマン氏を改めて聴くと、

やはりこの方の演奏中は音楽の精霊が憑依している。

天真爛漫で普段はちょっとコミカルな子供のような音楽の精霊が。

子供のときに罹患した病気すら

この方の音楽に寄与するものがあると思える。

両親がポーランド出身。

もし今後ヨーロッパが別の形で発展するなら

ポーランドが中心になると夢想している。

そのポーランド出身。

ポーランド出身の偉大な音楽家は多い。



ちなみにパールマン氏は若いころメニューヒン氏から

待望のストラディバリウスを譲り受けている。



一本の動画からさまざまな想いが通り抜けていった…



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ネタ切れ?

ここ何か月か、そう少なくとも前回ブログを更新してから

音楽を聞くことをしていない。

まるで飽きてしまったのかのように。

その代り 一日一回 BWV552前奏曲を

ときどき 音楽の花束からのトッカータを 弾く。

それだけで充足している。

最高のリラクゼーション。

最高の脳の体操。

わたくしの実力ではBWV552の脚鍵盤でいっぱいいっぱい。

それ以上脚鍵盤が活躍する曲は無理だろう。

一日一回では遅々として上達しないが、

それでも充分。

あとハ長調のブクステフーデの前奏曲を加えたら

それだけでどれだけの期間を過ごせるのか。

さらに さらに

グリニーのオルガン・ミサを言うのは  さすがに身の程知らずかなあ。

 
 わたくしの あくまでも個人的な音楽経験では (既出)

理屈上 BWV552が古今最高の器楽作品ということになる。

その作品が素人が戯れることが可能な難易度の幅をもつことに感謝。

これ以上の楽しみはない。


さてさて

音楽をきくことが無い状態なので

更新する気が起きない。

どうしたものか。

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グレゴリオ聖歌とルネッサンス音楽

グレゴリオ聖歌は性悪説(原罪)に立脚する教化システムの必需備品だった。

恫喝  調伏 呪縛 教化  のための呪文。

現西洋文明黎明期最高の発明品の一つ。

西洋音楽最高の作品の一つ。

この本当の作者こそが西洋音楽の真の始祖。

グレゴリオ聖歌の本質はズバリ統治性を孕む呪文。

グレゴリオ聖歌から派生した西洋音楽が世俗非世俗権力に常に

手厚く保護されてきた理由である。

スポンサーが強力無比だからそりゃ隆盛するわな。

中世の例えば1300?ギョーム・ド・マショーのミサ曲が

おどろおどろしく聞こえるのは

かつては時代による感性の劇的変化なのかと推測していたが、違った。

彼は音楽の目的と意義をちゃんとわきまえていたのだ。

まあ呪文としてはグレゴリオ聖歌の足下にも及ばないが。

1397ギョーム・デュファイになると

呪文としての意識はまだあるがより作品としての意識が強くなった。

この意識の逆転が中世からルネッサンスへの変遷の意味だ。

それまではミサ曲などを作曲依頼されるような作曲家は

実質上宗教権威の精神的管理下にあった。

何なら物理的にも管理下にあった。

(1098ビンゲンは自由に作曲できてしかも楽譜が温存された例外的存在。

彼女は別の道で自活できた有名人でもあったから。)

その図式が1397デユファイから箍が緩んだ。

宗教権威からの要求は相変わらず厳しいが

それと作曲家の采配との妥協。

狐と狸の化かし合い。

作曲家サイドではすでに宗教権威を信用していない。

性悪説を信用していない。

(そうでないとなんちゃって宗教曲が大物作曲家に特に氾濫する

理由がほかに見当たらないのだ)

でも宗教権威と仲良くしないと生活苦しい。

宗教権威サイドでは性悪説は権威維持の論理だと自覚している。

あるていど作曲家がすり寄る姿勢を見せれば容認する度量を見せる。

その流れのなかでポリフォニックな精緻な構成を競うルネッサンスの

宗教音楽が展開していく。 

作曲家の裁量権を獲得したのが1397デュファイ。

あらたな生命力を注入したのが1430オケゲム。

ポリフォニックな精緻な構成の躍動の頂点が1450ジョスカン・デ・プレ。

頂点のあとは変化と応用と分流の状況になっていく。

ジョスカンの音楽的後継者は1525パレストリーナ。

これら超大物作曲家は悉くなんちゃって宗教曲の人である。

ルネッサンスという時代は好意的に見れば

宗教権威からの脱出の苦闘の軌跡である・

成功したかどうかではなく…

この時代の音楽が当時の商業の一大中心地ブルゴーニュ公国で特異的に

進展したのは意味がある。

(フランドルはブルゴーニュ公国の領土の一部)

商業が栄えるということは 

人、物資の移動の自由があったということである。

それはこの公国の統治者の政策だった。

その結果、一時的にせよこの地では土地や因習に縛り付ける伝統権威が

他地域より弱まっていたことを意味する。

その間隙を縫うかのようにルネッサンス音楽と言われる

潮流が狭いブルゴーニュ公国の版図の中で発生したのだ。





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